前向きの憂鬱

京都在住。ふとした激動を大事に。観光シーズンには観光地の紹介もします。

何度でも死ぬことが出来る

 

京都の象徴鴨川、今日も何も変わらす、そして私はこの場所で一回死んでから生き返る。私は憂鬱になるとこの場所に来ることにしています。出町柳の鴨川デルタ~四条河原町まで変わらない景観を歩くのだ。

変わらない景観というのは必ずしも景色のことだけではない。景観とはその場所の「空気」もさしているのだ。ここで会う「空気」とは幾千の時を重ね、「人の思いが積み重ねられた歴史」のことを指す。現代になって私たちがなんとなく「落ち着く」・「居心地がいい」といわれている場所ほど、「心が綺麗な人々が過ごした場所」なのである。

私はサークルも辞め、ゼミも辞め、そしてバイトも辞め、ついに一人となってしまった時、自分の人付き合いの下手さに絶望し、一瞬死ぬことを考えた時期があった。本当に絶望したのだ。誰に対しても笑顔で、分け隔てなく接し誰からもそれなりに好かれる人が影でひとの悪口をいい、仲間を蹴落とす姿を幾度となく見てきた。自分の立場を利用して好き勝手にふるまう人も何度も見た。こんな腐った世の中で生きている自分を嫌悪した。

そんな時にたどり着いたのがこの鴨川である。おそらく汚れきった心を浄化するために必然的に訪れたのであろう。いや浄化というよりは心の交換といった方がいいかもしれない。

心の交換は急に行われるものではない。時間をかけて徐々に、部品交換のように行われていく。人間の心というものは一つしかなく、それを洗うことが出来ないと絶望から無になってしまう。魔法少女まどか☆マギカソウルジェムのように。

日が傾き始めた三条河原町の景色。約30分の蘇生で私は一度死に、生まれ変わった。新たな自分となった初めての景色は、それはまた絶景である。人が行きかう橋の風情は、どこか落ち着きを求める人で溢れている。そんな人たちを見ながら、私は優しい面持ちを見届けた。

絶望したところで私たちは何度も死ぬことが出来る。そして生まれ変わり、より頑丈な鉄心を構築する。長年にわたり、色々な思惑が交差し、人々の叫びが訴えかけるこの場所をあるかずして、京都を体感したというのは愚かである。