前向きの憂鬱

京都在住。ふとした激動を大事に。観光シーズンには観光地の紹介もします。

北野天満宮・御土居の紅葉は貴重な遺産

御土居とは、豊臣秀吉が天下人になってから行った造園自供の一つです。戦乱によって荒れ果てた京都の町を再興する目的の一つとして、外敵の襲来や鴨川の反乱から街を守るために作られたもので、その長さは南北に22,5キロにわたって掘られました。

※A・・長坂口(現上賀茂神社付近) B・・鞍馬口 C・・大原口(現出町柳) D・・粟田口(現東山三条)E・・伏見口(現川端五条) F・・鳥羽口(現東寺付近)

このように都を堀と土塁で囲い、堀から内側を洛中、外側を洛外と呼びます。この御土居の史跡は当時の都の規模を示すものとして現存する番号の場所が史跡に指定され、北野天満宮が有する4の場所が現存する最も大きな御土居となっています。

ちなみに現在存在する丹波口などの地名はこの時の名残を残しているものです。

 

江戸時代になると徳川幕府の天下泰平が訪れ、外敵の脅威もなくなり、また町が洛外まで広がるにつれて御土居が無用のの存在となったためそのほとんどが取り壊され、現存するのが地図の番号の個所だけになってしまったということです。

特にこの北野天満宮御土居には350本のもみじが存在しており、中には樹齢350~400年のものが存在するため、普段私たちが見るもみじよりも圧倒的に高く、他と違った景色を味わうことが出来ます。

こちらは三又のもみじと呼ばれ、豊臣秀吉が天下統一した1591年から存在している唯一のもみじでその樹齢は400年と御土居に存在するもみじの中で最古のものです。

 

 

 このように途中から枝が三つに分かれていることからこのような愛称がついています。この三又のもみじのあたりを見上げると周りの木と明らかに違う空間が出てきました。