心の日記

京都在住なので京都のネタを書く。

残酷な制裁~参拝の結果~

私は怒ってます。今日下鴨神社にお参りに行ってきたんです。住処から一番近い大きな神社なのでお参りしに行きました。五円玉を賽銭箱に入れて手をたたき、『今年もよろしくお願いします』と心で唱えながら誠心誠意お参りをしたのです。すると帰り道、突然とおなかが痛くなり、家に着くころには悪寒まで症状として表れ始め、一旦体温計で体調の経過を見ようと思ったのですが、、、、

おいおいおいおい、なんだよこの熱は!?完全に明日は病院行きじゃねえか!何か悪いことでもしたのか?全く心当たりがねえぞ!ちゃんと五円も入れたしレイ、二礼二拍一礼もやったぞ!俺の日頃の行いが悪いのか?
全く災難ですよ。これでインフルエンザなどと言われたら笑ってしまいます。まあせっかくなので日頃の行いとやらを見つめなおしてみようと思います。しかし、体調を回復させないと何もできないので明日は病院に行き、ベットで安静にしようと思います。

三箇日を避けて伏見稲荷へ ~初詣の独り言~

全く、人が多すぎます。正月の伏見稲荷は本当に人が多いです。特に三箇日なると写真のように身動きすら取れない状況に陥ります。今年は伏見稲荷に行ってきましたが、三箇日に行くのは気分が悪くなりそうなので、少し日を開けて一月七日に行ってきました。

 

京阪伏見稲荷駅から本社に続く道はやはり人が多いです。三日に神戸に行った時よりは少なかったですが、それでも歩行スピードを上げられません。

本社の鳥居前(JR稲荷駅前)です。本殿に向けて市が道の幅を狭め、正月の風物詩といわんばかりに主張を強めています。おかげでえっちらおっちらと足を痛めたかのようなスピードで歩くこととなりました。

朱色の三門が見えました。ここまで来るのに10分ほどかかりました。単純に気疲れしました。それでもこの山門を見ると初詣に向かての心構えを自然と心の中の自分が行うのです。本殿の写真は撮り逃してしまいました。本殿は幅が狭くないので、比較的回転良くお参りすることが出来ました。賽銭を入れる際、私は手元に500円玉しか持っておらず、しまったという表情を浮かべながらも、金色の輝く硬貨には何か縁があるのではという勝手な仮説を立て、今年の守り神の一つとして機能してもらうのと引き換えに500円玉は賽銭箱に吸い込まれていきました。私は願いを聞き入れてもらえてことを自分の中で仮認識し、そのまま千本鳥居へ向かうこととしました。

 

千本鳥居に入りました。しかし、何回来てもこの仰々しい鳥居の主張にはなれません。まるで神様の加護を受けているかのように見せかけて自分たちが偉大であると誇張しているかのような、そんな印象を受けます。信仰心の欠片欠片しかない印象を受けても人々はそのブランド物をひたすらに写真に収めます。インスタ映えでもしそうなので納得いくところですが、信仰という部分では明治神宮のように気を整備し、神域っぽくしてもらいたいところです。

しかしまあよくこんなに鳥居を置くことが出来るなあと思うばかりです。鳥居を置く作業と考えると重たい上にその作業を何回もしなくてはならないなんて、ねじ工場で不良品を見分ける単純作業が苦手な私にとって考えただけでも気が遠くなります。まあ、その作業をしてくださる人がいることで、多くの観光客を集客できているのでしょう。

山頂までは約一時間、往復で二時間ほどかかります。途中にお食事処があり、休憩することが出来ます。そして山頂からは、このような下々を見下すような景色を拝むことが出来ます。しかし、下々を見下ろして満足せずに右奥階段を登って一ノもお参りしてくださいね(笑)

 

天才と凡人、そして人付き合い

世の中とんでもない才能を持った人が少なからずいます。しかし、すべての人が才能を認められるわけではありません。中には世に才能が出ずにその生涯を閉じるものもいます。その代表といえば、稀代の天才画家といわれるゴッホです。彼は生前は全く評価されず、彼の死後に絵が評価されたそうです。このように才能があれど、正当に評価されないことが現在の世の中ではほとんどです。

結局人とのつながりが大事ということ

天才は孤独という話を聞いたことがあるかもしれません。あれは考え方や価値観が周りを合わないための孤独です。実は天才も人とのつながりを持って成功している人がほとんどです。しかし、凡人と呼ばれる人と違うのは、天才はその分野で他人を魅了するものを持っているため、人を引き付け、自然とそこに人間関係が生まれるのです。天才も一人で成功しているのではありません。

天才は全体の1パーセントといわれています。つまり残りの99%の凡人は一人で何かをしようとしても、限られるものがあります。例えば、仕事で営業成績が今まで伸びていたのに突然伸び悩み、伸ばし方を調べてみても分からない、、そんなときほとんどの人は同僚や上司に相談し、他人から「盗む」という作業をしてヒントを得ます。つまり、実際の人との付き合いが自分の能力の底上げに大きく関係してくるのです。

ほとんどの人は中身のない愚かな付き合いをする

凡人の中にもただ集団でいることに安心感を覚えるだけの無駄な付き合いをする人たちがいます。大人数でいればそれだけで自分が人とのつながりを手に入れていると勘違いしている人です。私は大勢の飲み会が大嫌いです。あれほどの大人数の飲み会で、個人の内面を探るのはほぼ不可能です。ですから私は飲みに誘われても4人までという条件で飲んでいました。ただでさえ才能がないのに、周りの空気に溶け込むだけで思考停止している人は年を取るにつれて苦しくなっていくことは間違いないでしょう。頭のパワーががなくなっていくのですから。

人との出会いは正直運要素が強い

親友と出会うなどといいますが親友は、知能、性格、好み、生活感、物の価値すべてが合う人のことを言います。これで考えると親友と出会う確率などゼロに等しいです。また、気の合う人など自分がなんとなく出判断するのはかなり難しいです。

しかし、親友もしくは気が合う人を探す感覚を鍛えることこそが中身の濃い付き合いとなると思います。それは他人の複雑な感情をかいくぐり、この人の本質を見抜くことが出来るということです。この本質を見抜く能力こそ、他人との関係を調整し、中身のある付き合いをすることが出来ると私は考えています。また、これは自分自身の能力の底上げになります。人間を考えるということは、ほかのことでも応用が利くようになるからです。

我々凡人が成長するためには中身の薄い付き合いをしてはいけない。そのためには他人の揺るがない根本部分を見抜く練習をすること。またそのためには、できるだけ一人を集中的にみるということです。

 

 

 

 

猪年の護王神社に参拝しました

今年は猪年です。皆さんはその年の神様が祭られている神社に参拝したことがありますか?私はありません。

そんなことはさておき今回紹介するのは京都でも比較的マイナーな護王神社です。今年は過去最大の参拝客で初詣をにぎわせ、京都新聞にも載りました。その理由としては、ここに祀られている神様が猪の神様であることが理由です。

鳥居をくぐると早速猪年を強調した大きな絵馬が仰々しく飾られていました。この絵馬は烏丸通りの歩道から見ることが出来るのでものすごいインパクトを与えてくれました。

その昔、和気清麻呂道鏡の策略にかかり九州に流罪になった際、道鏡に刺客が次々を襲い掛かりましたが、300頭もの猪が突然現れ、清麻呂を九州まで守り続けたそうです。また清麻呂道鏡に足の腱を切られ後遺症を負ってしまうのですが、この猪の一軒があってから不思議と後遺症が嘘のように治ったそうです。この清麻呂公が祭られているのがこの護王神社であり、足腰の健康を守る神様として現在も親しまれています。それはだた下半身が弱らないための効能ではなく、スポーツや登山などでも、けがから身を守ってくがさるとか。猪年だからということもありますが、やはり参拝客がの大半は足腰の弱い高齢者が占めているため、必然的に参拝客がおおくなっているようにみうけられました。ちなみに三箇日は二時間待ちで参拝客の行列ができていたとか。並んでいる最中に足腰が弱りそうです(笑)

今はかなり人がすいてきていますので、機会があればぜひお越しください。

 

 

こんな観光客は嫌だ!~京都の観光地にいるマナーがなっていない客たち~

 観光地には少なからずマナーが悪い人がいます。マナーといってもその悪さが目立つ客から目立たない客様々です。今回は私が感じたマナーが悪い客たちを抽出して紹介していきたいと思います。

 

マナーが悪い観光客たち

1、道を開けないい人たち

寺院などは展示物のそばの通路が基本的に狭く、人が流動的に流れないと人が通れないことが多いです。しかし、中にはわざわざ人が多い狭い場所で自分が拝観する場所を確保しようとする輩がいます。おかげで周りの人たちが進みずらくなるなり、余計なストレスをためかねません。周りのことも気にしてほしいものです。

 

2、公共物で遊ぶ人たち

これは私が奈良の東大寺に行った時のお話です。東大寺の本殿の東側には柱くぐりという有名なご利益スポットがあります。そこにたくさんの中国人観光客がたかっていました。彼らは柱くぐりの周りを独占し、同じ人が何回も柱をくぐってはその場で大はしゃぎをしていたため、他の観光客が利用できない状況でした。自分たちだけではなく、他人も利用するものですからもう少し譲り合いの精神をもって行動してほしいものです。

 

3、自分の持ち場を確保しようと知る人たち

これは南禅寺の天授庵、紅葉スポットでのことです。特に老人に多いのですが、座る場所を確保すると、その場所に何時間も居座る人たちです。本来なら人の入れ替わりが激しい場所では、席の確保は少しの間にしておくべきです。老人の方は足腰が柔いのはわかりますが、明らかに元気そうな方も我が物顔で座っているのは全く持って同意できません。

4、自撮り棒で妨害する人たち

最近youtuberがよく使っている自撮り棒、便利ですよね。これがあれば写真撮影や動画撮影をしやすくなり、集合写真インカメラでとることが出来ます。しかし、素直に言ってこれは邪魔です。紅葉の写真をカメラで撮ろうとすると、自撮り棒が邪魔してくることはかなりあります。また普通に見ていても自撮り棒のせいで景観が台無しになります。個人としてはとても便利なアイテムかもしれませんが、周りにとってはただの妨害アイテムなので本当にやめてほしい限りです。

 

5、もみじの葉や桜の花びらをちぎって捨てる人

最初これを見たときびっくりしました。押し花にするのかなと思いきや、ちぎった花をそのまま地面に捨てている若者を目撃したことがあります。桜や紅葉は期間が限られているため、非常に貴重なものです。貴重な観光資源を無駄にしないでいただきたいものです。

 

迷惑行為は本当にやめていただきたい

観光地は公共の場所であり、私有地ではありません。それなのにまるで自分のルールが通用するかのようなふるまいをする人は、単純におつむが弱いか、クズ人間かのどちらかだと思っています。共有スペースは万人に気持ちよく使ってもらうように配慮しないと、すべての観光客の気分を害すると思います。

京都に住むと毎日が観光

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京都タワー、寺社仏閣の、陰埋もれ、、、どうもgorihisaです。

本当に京都って観光地が多いですよね。皆さんは京都に来たらまずどこに行きたいですか?清水寺、嵐山、そして伏見稲荷etc、、、。うるせえどこに行っても京都なんて体感できるんじゃあ!!!

まあおそらく京都に観光に来て楽しくなかったなんて言うことはないでしょう。どこに行っても広いの境内に素晴らしい景観、そしておいしい食べ物を食べて観光満喫なんて考えるでしょう。まったく羨ましい限りですよ!私は京都に四年間住んでいると有名スポットなんて大体一回は必ず行ってしまうし、友達といっても「ここ前に来たことあるなあ」なんて周りが楽しくしている中一人でそんなこと考えている次第ですよ。

京都に住むと他県の観光スポットが大したことないように見えてしまう

もちろん他県には素晴らしい観光地はたくさんあります。紅葉だって長野や富山の内陸部にいけば峡谷などの絶景を拝むことができます。

しかし京都にすんでいると毎年のように紅葉の季節になると紅葉が素晴らしい色を奏で、春になると美しい桜が咲見だれ、それ以上に1100年もの歴史の積み重ねが、京都と言う町自体を観光スポットにしていることで、スケールの大きさでは負けても観光地としての歴史の重みがその場所にしかないため、どうしても感動し続けることができなくなってしまいます。


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それは神社や寺になるとなおのことです。京都にはそれぞれの地域に平安、そして鎌倉時代から存在する由緒ある場所が存在しており、どこよりもその数が圧倒的です。そのため、他県の寺社仏閣に行っても全く観光した気分にならないのです。

例えば、島根の出雲大社は観光地としてかなりの地位を築いていますが、敷地面積は下鴨神社よりも少し大きいくらいで周りには目立った観光地がありません。下鴨神社のそばには鴨川の落ち着く景観があり、さらに南西には京都御所があります。これらの立地の関係で下鴨神社には観光のバリエーションでは到底及ばないです。私が京都以外の神社で満足できる場所と言えば、伊勢神宮厳島神社だけだと思っています。伊勢神宮は外宮と内宮に別れる広大な敷地が神域となっているため、回るのに1日かかります。厳島神社は島自体が観光地として成立しているため、こちらもかなりの時間を観光に使えるからです。

京都は細かいところが目立たない

先ほど京都に飽きたようなことを書きましたが、それは有名な観光地に行きすぎた故です。京都には小さい寺や神社を数えると2500もの寺社が存在します。全国で一番多いのは実は京都ではありませんが、なの知れた歴史あるゆかりの地が余りにも多すぎるせいで隠れてしまうのです。京都を全部観光しようとするとおそらく数年はかかると思います。京都と言う観光地はそれほど奥が深くて底なしなのです。

 

 

 

 

西宮の廣田神社~拝殿は伊勢神宮のもらいもの~

 

兵庫県西宮北口から徒歩30分ぐらいのところに廣田神社はあります。しかし、周りが結構な田舎で参拝客が少ないことに驚きました。面構えはとても立派であり、その格式の高さを強調しています。

 廣田神社の歴史は古く、日本書紀では神功皇后が武庫の地廣田に天照大神荒御魂を祀り、皇后は無事に公開することが出来たという逸話が残されており、厄除けの神様として現在は親しまれています。

平安時代にはこの廣田神社が別名「西宮」と呼ばれるようになり、ここら一帯をそう呼んだそうで理由はわかりませんが、神社の名前がそのまま現在も地名となっていることから廣田神社の格式の高さがうかがえます。

拝殿は度重なる災害で再建を繰り返し、最近では1995年の阪神淡路大震災で拝殿が倒壊した際、伊勢神宮の内宮の社をそのままもらい受けています。その佇まいは名古屋市内にある熱田神宮とも重なることろがあり、非常に神秘的です。

実は本殿に祭られている天照大神荒御魂というのは瀬織津姫と同じ神様といわれています。瀬織津姫伊勢神宮の奥にある別宮・荒祭宮にまつられている神様で、別宮の中で

も唯一内宮神域にあります。実は瀬織津姫は水の神様であり、その別名が貴船神社の高龗神、そして廣田神社の荒御魂と呼ばれているのです。これはそのまま瀬織津姫としてまつると伊勢神宮との差別化をすることが出来ないのであえてこのような呼び名にしているのだそうです。

今回の廣田神社は非常にパワーが感じられ、非常に気品あふれる境内でした。また春になると二万本を超えるつつじが咲き乱れ、絶景を生むそうです。皆さんもぜひ行ってみてはいかがでしょうか。

独り言になりますがこんなにも由緒ある場所でも、地理の悪さでここまでも人が少なくなってしまうことをとても残念に思います。西宮神社中山寺もいいですが、本当の意味での初詣は、実際に何か見えないものを感じられるような体感をする場所に私は行くべきだと思います。