前向きの憂鬱

京都在住。ふとした激動を大事に。観光シーズンには観光地の紹介もします。

初詣じゃぁぁぁぁ!!人多すぎるだろぉぉ!!

あけましておめでとうございます。

今年こそいい一年にしたい!そのためには新年早々いい気分で始まりたい・・・といっても格別やることがなく、とりあえず初詣にでも行こうと思い、近くの北野天満宮に行くことにしましたが、、、

あーあーあーあーーーーー、、、、、、もう人が多すぎて前に進まないったら進まないこと、、一時間は待ったでしょうか。しかも旧正月の中国や東南アジアのの地域の人たちの観光と重なり、もう大パニック。中にはイライラしてしまい、割り込んで警備員に止められてしまう人もいました。まったく観光客ならまだしもなぜ近くに神社があるのにわざわざここまで足を運ぶ必要があるのでしょうかねえ、近くの神社に行っておみくじでも引け!散れ!散れ!

といっても自分もそんな初詣に来ているわけですし気持ちよく初詣を終わらせ、最後はおみくじを引いて帰りましたよ(笑)

おみくじの結果は吉でした。まあよかったと思います。それよりも書いてあることがすべて自分に足りないことばかりで要するに成長しろと神様に言われたのでしょう。

いいですよ!神様までそこまで言うならやってやろうじゃないですか!

まあ神様にまで自分の短所を悟されるとさすがにグサッと来ますね。いい意味で洗礼を受けました。

 

ストレス社会と絶望の世界

世の中の多くの人はストレスをため込んでいます。それは会社で働いている現役世代はもちろん、ニート、そして高齢者・・・・それぞれに社会からの違うしわ寄せがあるだけではなく、感覚がまるで違い、お互いを理解することが出来ずに日々衝突しています。

高齢者は時代錯誤の犠牲者

 高齢者はいわゆる団塊世代と呼ばれる人たちです。団塊世代は高度経済成長真っ只中の恩恵を受け、なんでもうまくいってしまう世の中で若い時間を過ごしてきました。この人たちが新入社員として会社に所属する時には、現代と違い会社が個人を育てる風潮があり、新入社員はたくさんかわいがられました。また、年功序列のため会社を首になることもそうそうなく、レールの上を走ればすべてがうまくいきました。その結果、現在老人となった彼らは、若者に「なんでお前らには夢はないのか。」 といった発言をしたり、世の中の多様化についてこれず、いきなり不満が爆発するといった傾向に陥ってしまうのです。

ニートは社会に絶望させられた犠牲者

 社会生活には一定の「能力」が求められます。それは「同調」というものです。学校生活も社会活動もバランスというものが求められます。しかし、中にはアンバランスも存在します。ある能力が突出しているが、ほかは平均以下といった人は、この突出している場所を杭で撃たれてしまいます。その結果、彼らは自信を無くし、心を閉ざし、社会から離脱してしまうのです。

 

働く人々は思考停止の犠牲者

 働く人々はマニュアル通りに動かなくてはならず、少しでもマニュアルからずれればそれこそ出る杭は打たれる状態になります。毎日やりたくない仕事を金のために行い、勤務時間以外は会社の人との付き合いに時間を割かれ、帰ってみるともう夜遅く、「明日も仕事だから早く寝なきゃ・・・」・・・・・。一人で考える時間は全くありません。人間は考えるから成長の可能があるのです。時間を会社にすべて奪われ、完全に思考が停止してしまい、それにすら気付いていない人たちはまさしく犠牲者と呼ぶにふさわしいです。

これらの人からすれば、高齢者やニートはまさしく敵です。高齢者のためにたくさんの税を納めなければならず、ニートは同年代にもかかわらず楽しているように見えるため、本当に憎らしくて仕方ないです。

 

 

 

ストレスが潜在化している

昭和時代は平成よりも人間らしく、人と人との心のつながりが強固なものになっていました。現代ではどうでしょうか。インターネットが発達したことで、人と会わなくともコミュニケーションができるようになりました。そして、徐々に人前で意見を言う力が弱くなり、面と向かって言うことが出来なくなりました。そしてインターネットを形成した社会は、より複雑になり、人々に余計な選択肢まで考慮させるようになりました。当然人々はストレスを抱え、何らかの形でストレスを発散しようとしますが、インターネッでは規制が強まり、人々が一時の意見に流されやすくなったためそう簡単に発散することはできず、ものを消費することでストレスを回避しようとします。しかし、それだけでは満たされず、場合によっては犯罪行為に走ってしまうのです。

 

私が世の中に絶望した話

たった一つの居酒屋のバイトでした。ほんとに小さなものでした。しかし、そこでは毎日のように激務に追われながらも、私元気ですよアピールをする人たち。仕事ができないのに命令してくる人たち、みんな楽しくないはずなのに楽しそうにしている飲み会、そして本当は嫌いなはずなのに立場上仲良くしなければいけない人・・・・・・

書いていたらきりがありません。みんな自分のためだけに仕事をしているはずなのに表面上協力関係を装い、さぞ自分たちの友情は固いと言わんばかりに肩を抱き合う姿を見て、私は心のつながりのもろさと社会の残酷さに絶望し、私はストレスの源となる社会から離脱しました。

しかし、私はあきらめません。お互いに蔑み合い、喧嘩し続けるこのストレス社会でも、社会に抗い、死に物狂いで自分を探し続けている人たちに巡り合うことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息抜きのはずの観光が・・・ストレスをためやすい観光をしない方法

 突然ですが皆さんは観光するとき、どのようにして場所を選んでいますか?ほとんどの人が

  1. 有名な観光地であること
  2. メディアでよく見る景色であること
  3. 交通の便がいいこと

この三つを主な基準として観光地を選択していることでしょう。しかし、人々はなぜこの三つを基準にして観光地を選んでいるのでしょうか?

 

 

 理由はシンプルだった

ほとんどの人は、日々の社会生活で様々なストレスを抱えており、観光の時は社会のしがらみから抜け出し、楽しみたいと思っているはずです。しかし、スマートフォンなどで検索するとき、「とりあえずこの県ならこの観光地に行こう。」と何となく決めてしまう人が多いです。

 

先ほどの三つの選択基準で考えると

1、有名な観光地であること

 これは情報量が多く、その観光地の長所、見せ所、そして近くに食事する場所がたく  さんあることがあげられます。

2、メディアでよく見る景色であること

 テレビや雑誌でよく乗っている観光地は当然景色が綺麗であり、一回見たことのあることから、行っても後悔しないという安心感から選択しています。 

3、交通の便がいいこと

 これは言わずもかな、利便性が高い場所は必然的に人が選びます。

 

 一歩間違えれば非日常が日常になってしまう

しかし、これらの観光選択をしていると少なくとも京都ではとんでもない地獄を見る可能性があります。

1、有名な観光地であること

 これに関してですがまず時間を間違うととんでもない人混みの中、自分のペースで歩歩くことはできず、周りに気を使わなくてはいけないため、ものすごくストレスがたまります。また、食事は有名店に人が集中するため、おいしいものを食べるには、高確率で並ぶことを強いられます。

2、メディアでよく見る景色であること

 これはテレビや雑誌で見るほど大したものではなかったということです。例えば映像ではものすごく境内が広そうな神社がありますが、いざ行ってみるとそこまで広くなく、まったく整備されていなかったというものです。期待が外れると観光の満足度も下がり、リフレッシュというわけにはいきません。

 

3、交通の便がいいこと

 これは、観光地に対する移動手段が限られている場合、その乗り物に人口が集中するということです。人混みとは違い、さしずめ状態の箱に強制的に押し込められるわけですから居心地は悪く最悪な気分となります。特に満員バスになると出口が前にあるため、バス後部に乗車している人はその人込みをわざわざかき分けて出口まで到達しなければいけません。よくバスで押すな馬鹿野郎といった感じで喧嘩が起こりますが、本当に満員の乗り物はストレスがたまるものです。

 

 この三つの基準で観光地を選んでしまうとこれだけのストレス要因を生むこととなります。普段のストレスを解消するために旅行・観光するはずが、余計なストレスによって観光気分を阻害されてしまのです。観光とは非日常を楽しむものです。多くの人にとっての非日常とは、ストレスのない時間で自分が楽しいと思うことを実行することです。せっかくの非日常である観光を、この三つの理由で選んでしまうことで日常で受けるストレスを直に浴びてしまうこととなります。

 

 観光の基準は、ストレスのたまらない時間に動くこと

 私が住む京都は、紅葉の季節になると、東京渋谷並みの人口密度となりますから、清水寺などの有名観光所は昼などは全く自由に動けません。そうすると時間が思ったよりも足りなく、本来5つの場所を周れたにもかかわらず、4つだけになったということになります。そこで私の場合、訪問客がが少ない時間帯に観光地を訪問することをお勧めします。

 

 私の場合、先ほども名を出しましたが、清水寺は午前6時と早朝から開門しているために朝7時頃に年中無休の八坂神社、そして八坂の塔など東山の街並みと一緒に散策してしまい、朝食は軽食を取ります。そして朝9時ごろになると高台寺建仁寺といった有名寺院が開門するので、人が少ない午前中にこれらの観光を終わらせてしまいます。そして昼の11時ごろ、昼食にします。この時間帯はどの店も比較的がらんとしているため、早く食事にありつけるでしょう。

 12時~13時頃になると人混みが活発になります。ここで問題になるのは交通手段です。京都の繁華街の三条、四条になるとバスは満員になり、信号・渋滞状況によって時間の遅れが生じるため非常にストレスがたまります。ですから私は地下鉄で一度京都駅に戻ります。そして午後はどこの寺院も人があふれるため、水族館や鉄道博物館といった信仰密度が比較的少なくて済む場所を観光します。大体2時間~3時間といったところでしょうか。午後5時頃、人が増えないうちにご飯を食べてしまい、観光を終えます。

 

ポイントは

  1. その町で、人が集まりやすい場所を調べ自分が行きたい観光地にどれぐらいの人が集まるか推測する。
  2. 出来るだけ人よりも早く行動する
 他人よりも早く行動することにより、時間軸が被らないため、観光場所で自分だけ界に浸れるのでお勧めです。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都人は陰湿!?~私が京都人と触れ合って感じたこと~

こんにちは。gorihisaです。

 

私は、京都が好きで、大学は絶対に京都に行くと決め、その願いが叶ったときはとんでもなくうれしかったですが様々な懸念材料の中に、

京都人は本音をしゃべらず、陰湿で回りくどく、いやみったらしい

といったものがありました

しかし、実際に京都の人というのは本当にそうなのかを疑問に思い、実際に京都出身の人と交流することにしました。

 

 

 

少林寺拳法部に所属していたころのAさんとBさん

私は大学一年生の頃に少林寺拳法部に所属していたのですが、その中で京都出身だったのは、京都府の京阪丹波橋駅付近に住むAさん、そして二人目は地下鉄国際会館駅付近に住むBさんです。私はこの二人がうわさの通りの人たちなのかを見ることにしました。

 Aさん(女性)は本音をしゃべらなかった

 私が所属していた体育会系はとんでもないブラック企業でした。というのも一回生は公式ブログのホームページの更新、懇親会の場所の確保、コーチ・先輩方の接待、道場の掃除・・・・・これはほんの一部です。一回生は組織に所属して間もないころにこれだけの仕事をいきなり任せられるわけです。また、その一回生の間でも仕事をする人としない人が生まれ、当然仕事は頑張っている人たちに大きく偏るわけです。

Aさんはものすごくまじめな人で、一回生の中でも一番仕事を頑張っており、会うたびに疲れた表情をしていました。しかし、まったく弱音は吐かずむしろいつも笑顔でした。そのため周りからも慕われていましたし、一回生の中でも人気者でした。ですがそんな彼女にも一個だけ明らかに違う部分がありました。それは、仕事をしていない人としている人と、接しているときの顔の表情の違いでいた。それぞれ接し方は全く同じのためわかりずらかったのですが、明らかに仕事を放棄していた人たちとの会話の時は橋上が固く、目が笑っていませんでした。しかし、同期の誰に聞いても彼女が人の悪口を言っているのを聞いたことがないといいました。

 Bさん(女性)は常にyesマンだった

Bさんはも同じ京都出身で、少林寺拳法部には二か月遅れで入ってきました。京都らしいおっとりとした性格で、人の話をうまく聞いてほめる聞き上手で非常にモテる人でした。そんなBさんにも引っかかることがありました。それが他人の意見を絶対に否定しないことです。例えば自分が自分の男友達が「海に行きたい」というと「いいね!私も泳ぎたい!」といい、私が「山に行きたい」というと「ああ、山もいいよね!」と一見反対に見える意見でも絶対に両方を肯定するのです。他にも「あの人のことどう思っているの?」と何気なく聞いても、「うーん。わからない!」といいます。とにかく自分の意見がなく、何を考えている人かわからなかったためとても怖かったです。

 

 大学一回生の時、この二人から京都の人はまず本音を話さないことは間違いないと思いました。

 

居酒屋バイトをしていた時の店長Cさん,DさんそしてバイトのEさん

私は大学二年生の時にバイトを始めました。理由は年代がバラバラなため、地元京都の人たちに合う確率が上がると思ったからです。

 

 店長Cさん(男性)はきつい性格ではないが・・・

 

 私がバイトを始めたころの店長がCさんです。Cさんはとにかく争いごとが嫌いで、バイトが足りていないときも、シフトを強要するようなことはありませんでした。その代わりに、Cさんは店長という立場を利用してプレッシャーをかけてくる人でした。私のバイト先は2週間に一回、シフトを提出するのですが店長はシフトが足りていない日は、「~日暇だよな」といった断定形式でシフトに入るように促してきます。当然大半の人は断りますが、断るとCさんは冷たくなります。つまり直接的には言いたくないのだけれど、間接的に要求することで自分の意思をを伝え、自分が悪いところを極力少なくする。そんな感じの人でした。この人から感じられるのは、少し粘着質で陰湿じみたところがあるということでした。

 

次の店長Dさん(男性)は本音を言うが・・・

Cさんが移動して次の店長になったのがDさんです。私はDさんのお気に入りだったので非常によくしてもらいました。しかし、この人は他人を見下す傾向があり、自分が誰よりも優れていることを他人に認めてもらいたがる人でした。嫌いな人にはブラックジョークを用いて評価を下げ、自分よりも能力が優れていると判断した人に対しては活躍の場を与えさせない陰湿さがありました。私はこの人の頭の良さに惹かれましたが人間性が最悪だったのでバイトをやめました。

 

Eさん(女性)は直接嫌とは言えない

このEさんはDさんのことが好きでほかの店舗にも関わらず、営業時間が終わると私の店舗に訪れていました。このEさんは私と帰りが一緒になったときがあり、どうやらそれが嫌だったらしく、私が徒歩で彼女が原付バイクでしたが、「私の代わりに原付を押して」といいました。今思えばあの言動は「原付推したくないから先に帰りたい」という意味だったのかもしれません。

 

この居酒屋のバイトで、若干たりとも京都人は本音をしゃべらず、陰湿で回りくどく、いやみったらしいは短所として存在していることが分かりました。やはり見えないところで京都の人たちはいろいろ考えていることが分かりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猫をいじめる動画がありました 

こんにちは。gorihisaです。最近空前のペットブームが少し下火になり、命を尊重することの大切さを意識する世の中に向かっていると思います。ネットにはとてもかわいいワンちゃんや猫ちゃんの映像が増え、毎日その動画で癒されている人も多いかもしれません。これらの動画を出している人は本当に動物が好きで、心からかわいいと思っている心暖かい人たちです。

しかし、動物が見せる愛嬌というものは、動物に悪さをする人たちの格好の餌食となるものです。

 

昨日こんな動画を見つけました

この動画は病気にかかっているらしく、弱っている猫にえさを与え、給餌中に猫を水門に落とすという動画です。動画を見てもらうとわかりますがやり口はかなり卑劣で、投稿主は部分的にカットしていますがおそらく自らの手で投げ入れたのだと思います。実は投稿主はこのほかにも四つほど動画を投稿しており、どれも猫に対してかなりひどい仕打ちのものとなっています。

動物をいじめる人は動物嫌いではない

本当に動物が嫌いなら動物自体にかかわっていないと思います。しかし、この投稿主は、わざわざ車を使ってここまで訪れ、猫とこのような形で戯れています。つまり投稿主は動物が嫌いなのではなく、動物を使って自己表現をしたかったのではないのかと思います。実生活で愛情を受けていない場合もあますし、またはこのような形で目立ちたかったのかもしれません。真実はわかりませんが・・・

 

動物を好きすぎるが故の弊害

これに対してツイッターでは、この投稿主を批判する声が相次ぎ、警察にまで訴える人たちがいるようです。これは本当に異常な光景です。

まずは法律上動物は物として扱われます。民法では有体物といって、動産に値しますが野良猫は所有物ではありませんので適応されません。刑法でも261条で器物として扱われ、もし殺す、傷つけるといった場合に器物破損罪と扱われていますがこの場合も因果関係を立証することは、ましてや野良猫ですから立証は難しいです。動物愛護法でも44条に同じような規定がありますが動画だけでは立証するのは不可能です。私は法学部なのでよくわかりますが法律は感情の余地を許さないので非常に冷たいです。

私は何が言いたいかというと、このように世間に構ってほしい動画を出しているだけの主に過剰に反応し、法律のことを詳しく調べずに、一時の感情でやれ犯罪だ通報だといった表面的に馬鹿な行為をしている人たちに、通報するならもっと詳しく調べて因果関係が成立してから通報しろといいたいのです。猫が虐待されているように見えるだけでこのようなばかげた反応をするのは滑稽でしかありません。

 

もっと言うならもとは本来人間というのは自己利益を追求する生き物であり、動物を飼うにしても自分が可愛くて精神的に満たされるという都合からきているものです。確かに動画のようなことをやっているのも自分の都合です。しかし、動物を飼う、動物を使って金を稼ぐ、動物とかかわる仕事をして生きていく・・・  すべて最終的に行き着くのは人間の都合です。ですから本来我々に何も言う権利はないはずですし、他人をとやかく言うなら自分を見つめなおせと言いたいです。おそらく大概の人は自分の都合のいいように真実を捻じ曲げます。

 

 

 

 

 

 

 

京都の地形

かつて平安京が存在し、長年都として栄えた京都。現在では平安~江戸時代の数々の遺産が存在し、世界一の観光都市となっています。

京都というのは山が見えるところまで、平坦な街並みが見え、まさしく盆地という感じがします。

また京都という町は歩いていると東山や金閣寺方面を除き、ほとんど標高が変わらず、また道も碁盤目状になっており、非常に歩きやすくなっているため、一見平坦に思えます。

しかし、京都という町は実は平坦に見える場所でも坂になっています。

 

 

徐々に上り坂になる

googleマップで見た京都市はこのようになっています。北は北大路、南は九条まで京都市内の街並みが続いいます。一見地図では平坦に見える京都の町も実は南の宇治川から市内に向けてなだらかな上り坂となっています。

こちらは京都の高低差を表した岩盤図です。これを見ると京都は南からなだらかな坂になっているのが分かります。特に五条のあたりからその坂は若干勾配を上げ、そのまま岩倉や金閣寺方面へと続いています。このような地形になったのは北部から流れてくる鴨川と桂川という二つの川が近い距離で東西を分断したこと、岩盤に沿って埋め立てられたことがあげられます。

京都に来て一番最初に認識したこと

 大学生になって京都に住み始めた初日、私は服を買うために京都駅前のイオンまで自転車をこいだのを覚えています。烏丸通りをずっと自転車で下っていくのですが、平面のわりにはこがなくても自転車がすいすい動き、帰りになると途端にペダルが重くなったため、今まで京都に来ていたにもかかわらず、始めで京都がまっ平じゃないと認識しました。

 京都の上り坂は自転車では意外と厳しいものです。途中で坂が終わるのではなく、徐々にわからないように坂が町の端まで続いているため、気が付いたら足が疲れていたりします。バイトをしていた時は、帰り道が三条~今出川の間だったため帰るのがつらく、ものすごく億劫でした。

歩いていると坂であることは実感できない

京都にきて初めで、自転車がが素晴らしい乗り物であることを実感しました。もし京都に住んで自転車に乗っていなけばこの地形のことも気にならなかったのかもしれません。京都の町はは自転車でしか坂を体感することはできないないため、この事実にきづいていない人が多いかもしれません。 

大半の人からするとどうでもいいのでしょうが私はこの違いが、何かしらの意味を持っていると感じています。今はわかりませんが、いつの日か事実を突き止めたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

※糺の森について

糺の森下鴨神社の周り、約12万平方㎞の広大な自然を形成する原生林で、1983年に国の史跡に認定され、1994年に下鴨神社世界遺産登録されたとともにこの糺の森も世界に誇れるものとなりました。

かつて平安京が置かれた時には495万平方㎞というとんでもない広さを誇っていましたが、応仁の乱(1466~77)のよってその7割を焼失し、さらに明治時代の上知令によって領地を没収され、今の面積となっています

また、その形状は出町柳から鴨川と高野川に分岐して間もないため(鴨川デルタ)、川に挟まれ、細長い形状になっています。

平安時代は現在鴨川デルタと呼ばれている場所から川に挟まれた場所を糺(ただす)と呼んだために糺の森と呼ばれたそうです。また、このことから川に挟まれた糺が平安時代に存在した広大な原生林が存在した場所であると予想できます。

現在はこの糺の森全域が下鴨神社の神域となっています。また植物のほとんどが奈良時代以前から存在したもで、その種類は約40~50種類、約5000本の木がそのまま立ってあり、約20%はクスノキです。

クスノキは代々御神木としてあがめられてきたため、下鴨神社にはたくさんのご神木が存在します。

また、紅葉の季節になるとこの原生林と真っ赤なもみじの対比が美しく、最高の景色を拝むことが出来ます。下鴨神社の境内に踏み込む前に糺の森を通ることをお勧めします。