前向きの憂鬱

京都在住。ふとした激動を大事に。観光シーズンには観光地の紹介もします。

希望の四月

四月、人は新たな出会いと舞台に希望を抱き、活発になる。

桜も咲き乱れ、寒い冬が完全に終わろうとしているとき、本当に人は幸せになるのか。何もないものや、失ったものにとって四月は不幸への始まりとなる。

暖かくなり明るく公園を散歩したり、新しい友達と和気あいあいとしている姿をしり目に、孤独と失敗を重ねた人、もしくはしがらみにもまれ疲弊した人は幸福感という魔物に飲み込まれ、五月病を患う。

私もこのころになるとものすごく嫌な気持ちになる。形式ばった行事に流されるように形だけの人間関係を築き、さぞ自分が幸せかのようにに見せかける人々が嫌いだ。そんな人々の心の内側を見ると、余計に世の中に対する不満が募る。

今まではこの不満をため込むだけだったが、これからはこのネガティブな気持ちをエネルギーに変えて徹底的にやり通すことが短い期間での課題だ。

そうすれば、自己追及と情報発信を行うための自由な時間をまずは手に入れることが出来る。

桜の町京都

桜の時期になりました。



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京都御所の垂れ桜もほぼ満開となり、京都の二大観光季節を迎えました。美しく咲き乱れはかなく散る桜の花はやはり何回も見たくなる花の象徴です。



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京都の三条木屋町のヨメイヨシノはまだ五分咲きですが、満開まで一週間もないでしょう。桜は紅葉とは違い、場所を選ばず美しいものです。京都観光と花見は分けて考えると充実感は倍になります。

 

 

福井の県民性についえ

福井県民は粘り強く努力家である。しかし、その粘り強さはストレスをためやすく、メンヘラになりやすい。』

 

私は結論としてこのような考えに至った。1日しか福井にいなかったが、その県民性は真面目で緻密で優しさの中に強さがあるような感じだった。しかし、心のそこから我々を歓迎しているような雰囲気は見受けられない。やはり内気な性格が左右しているのだろうか。

 京都みたいに完全に裏がある感じではなく、自分の内面をただ出していない、要は内気なだけだと思った。要領がいいため、回りに気を使わすことがなく、人からすかれやすい。しかし、それは本来の自分を出せずに仮の姿のまま顔を隠してしまったことでメンタルヘルスに知らず知らずのうちになっていると感じた。時々福井の人が怖い顔をするのはそれが理由なのかもしれない。

 

余談だがそれは福岡でこれもたった二週間だが、治験で滞在したから余計に感じる。開放的な性格とウェルカム精神、圧倒的な自己開示は閉鎖空間にいるとは思わせなかった。しかし、感じるのは普通は福井の方が本来の日本の気質であり、他人をなかなか受け入れられないのが日本である。少なくとも楽観主義である僕にとって北陸の鎖国気質は合わない部分が多いと感じた。

何のためにバイトをする?

 バイトをするうえで大事なことは何かと考えたことがあります。それはお金ではなくやりがいだと思っていました。居酒屋のバイトを始めたとき、それはもろくも崩れれ去りました。来るオーダーをただたださばくだけの日々にやりがいなど何もありませんでした。

 ここで思ったのが好きな仕事を見つけるのは難しい、やりがいを感じる仕事も自分に向いている仕事も分からない。だとしたらどうすれば自分の適職を見つけることが出来るのか、、、

 

 私は一つの結論に至りました。日常で自分の気分がよくなる行動がそのまま生かせる仕事に就くのが最終的にいい結果を生むと。僕の場合、掃除をするとその日は気分よく一日を迎えられるので、清掃のバイトをすることが自分にとっての日常の気分転換になりました。そして気分がいいまま午後を迎えられるので、余計なストレスをかけずに自分のことに熱中することが出来ました。

 なんでもいいと思います。衣替えが気分転換になるならアパレル、イベントが好きなら単発の設営バイト、リゾートが好きならそのリゾート地でアルバイトです。とにかく自分の日々の行動から結びつけることを考えてください。

京都城南宮のしだれ梅を見てきました 

京都の伏見区竹田にはしだれ梅で有名な城南宮があります。しだれ梅は普通の梅と違い花が大きくつぼみの数が多い。そして桜よりも色が濃いため、見栄えするところです。

枝が一本一本大きく、装飾品のような完璧な仕上がりは今まで見たことがない光景でした。

余りにも美しすぎてシャボン玉が飛んでいるかのように見えます。

城南宮は外国人観光客も少なく、梅の名所が少ないため時期がずれており、交通の便もよくないため観光客が少ない京都の隠れた名所です。

城南宮の梅は二月の後半~三月初旬ですので皆さんもぜひいらしてはいかかでしょうか。

 

www.jonangu.com

北野天満宮の梅苑~物思いに吹ける~

春は憂鬱です。新しい門出にぴったりの陽気に心地よい風。そして花や動植物の目覚め。すべてが目を覚まし、人も活気に包まれます。

梅は二月の上旬に芽吹き、春の訪れを表します。この瞬間、私は毎年のように繰り返す変わらない一年に絶望します。また今年も生きなければならないのかと思うこともあります。

ですがその一方で、また今年も生きることが出来たと思うこともあります。毎日毎日当たり障りのない日々を送っても、それが積み重なっていかされていることを自覚します。

シャボン玉の花を見たときに思います。人間も80年という長めの命を生きているが、地球の歴史からするとそれこそシャボン玉のようにはかない存在であることを。そう思うと、今世の中で起こっている悪事や争いも所詮はばかばかしいものであると思うのです。

そんなはかない存在であるにもかかわらず、春は残酷なほどにも私たちの存在を連想させます。本当は思い起こしたくなんかありません。いっそ滅びればいいとも思っています。

それでも人間というものはよくできていて、勝手に思い出すようにできています。そして五¥思い出すたびに生きようと思います。

梅の花は桜の前座です。咲く時期も短く、すぐに散っていしまいます。しかし、春というものはこの梅を見て心を整理するものだと思います。興味がある方は北野天満宮の梅苑にお越しください。

観光都市京都の住民が不幸になっている!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

京都に住んでて思うのは間違いなく京都は住みずらいことです。観光客は正直邪魔であり町は狭く繁華街は人でごった返し、交通も常に人の波が切れず家賃物価は高く車は走りずらい。まったくもって住みずらい場所です。正直神社やお寺が好きでなければ京都で住む意味はまったくないと思っています。

 

 

四月や十一月になると京都には東京並みの人であふれかえります。しかもそのほとんどが娯楽を求めてやってきている人たちなので羽目を外したり、通常とは違う気分で京都を徘徊します。すると京都に住んでいる人にとっては毎日を繰り返している土壌を荒らしに来ているだけの気質も違う人たちなので当然不愉快に思うわけです。

しかし、多数派は観光客です。我々がどういおうと彼らの優位性は日本そして世界が保証しているわけですしそれで京都が成り立っているわけですから受け入れざる負えないわけです。このようにして観光客が増えると同時に住民は違う空気を強制的に吸わされ、不幸になっているということです。

しかし、どうすることもできません。今我々がやるべきことはあきらめてそれを受け入れるか、潔く京都から引っ越すかの二択です。ほとんどの人は後者を選択するべきです。正直京都に住んでいて生活面で恩恵を受けることはあまりないです。